はじめに
絵画のモチーフとして描かれた植物を通して、巨匠の心を掴んだ魅力をご紹介する特殊記事「巨匠に描かれた植物たち」、前回はオランダが誇る孤高の画家、ゴッホに描かれた「ひまわり」「アイリス」「アーモンド」をご紹介しました。
今回は、印象派を代表する画家の一人「クロード・モネ」の生涯と、彼が描いた植物たちの素顔に迫っていきたいと思います。
モネの生涯
皆さんは「印象派」という言葉を聞いてまず真っ先に思い出すのはどの画家でしょうか?
印象派を代表する画家としては、今回ご紹介するモネをはじめとして、マネやドガ、ルノアール、セザンヌ、シスレーなどあげられます。
作風や個人の好みによって個人の好みは分かれるとは思いますが、、私はなんといってもモネをおいて他にはないと思っています。
印象派または印象主義と呼ばれ、19世紀後半にフランスのパリで活躍していた画家たちが起源となり発生したムーブメントです。絵画の歴史においては「印象派以前、印象派以降」といっても過言ではないほど芸術の歴史に影響を与えました。
印象派以前は、美術教育を受けたアカデミックな画家たちが、モチーフを忠実に描く写実主義を中心に活躍していました。そんな流れに逆行するかのような作品を次々と生み出し、芸術界に新しい風を吹き込んだのが印象派(印象主義)です。ムーブメントが生まれた当時は批評家の間で酷評されていた印象派の作品ですが、月日とともに徐々に評価されるようになり、いつしかその作品たちは高値で取引されるようになっていきました。
モネは1840年にフランスのパリで、中流階級の父アドルフと母ルイーズのもとに生まれました。
5歳の頃、家計的事情により一家は北部の海岸沿いにあるノルマンディー地方の港町ル・アーヴルに引っ越します。
その後、ル・アーヴルの学校で美術を学び始めた彼は10代からすでに絵の才能を見せはじめ、彼の描くカリカチュア(人物の風刺画)は町で売られ評判になるほどでした。
そんな彼の人生で一つの大きな転機になったのが、風景画家ウジェーヌ・ブーダンとの出会いでした。
ブーダンとの出会いを機に戸外で絵を描くことに没頭するようになった彼は、更に本格的に絵の勉強がしたいと、19歳の時、父の反対を押し切ってパリに引っ越します。
パリのアカデミーで勉強しながら制作をしていたモネは、21歳の時に徴兵によりアルジェリアに赴任しましたが、翌年には病気で兵役を中断して本国に戻ってきます。
その後も休むことなく制作に打ちこんでいた彼は、25歳の時に「オンフルールのセーヌ河口」「干潮のエーヴ岬」という作品をサロンに初出品し、見事入選を果たします。
これから順風満帆になるだろうと思われた彼の画家としての生活でしたが、その後サロンに出品し続けるも望むような結果は得られず、また、30歳の時に結婚した妻カミーユをその9年後に亡くし、ここから彼は長い間苦難の時を過ごすことになります。
再び転機が訪れたのは1880年、美術雑誌「ラ・ヴィ・モデルヌ」の画廊で行われた個展がきっかけでした。
この個展を一つの境として、彼に対する評価が上がっていき作品も徐々に売れるようになっていきました。
そして、その頃すでに42歳となっていた彼は、パリ北西部に位置するシヴェルニーに移り住みます。
現代でも多くの人を魅了する作品「睡蓮」のシリーズは、そのほとんどが86歳で亡くなるまで彼が住んでいた邸宅の庭で描かれました。
感覚でとらえた光の質感や変化を追求し続け、キャンバスに描いて表現したことが彼が「光の画家」と呼ばれる理由の一つです。(モネの作品は、晩年になるにつれてより抽象的な表現になっていったと言われていますが、これは彼が白内障を患っていたためとする研究結果も発表されています。)
モネが亡くなったのが1926年(享年86歳)、当時としては長寿と言える年齢でした。自分のテイストにあった風景を庭の中に作り、そこで自分の描きたいものだけに没頭できたのは本当に幸せなことだったのでしょう。
モネに描かれた花たち
ここからは、モネが残した多くの作品の中から、代表作「睡蓮」も含めた3つの作品に描かれた花についてご紹介したいと思います。
尚、本記事は美術評論を目的としたものではないことを予めご理解いただいた上で、ここから先をご覧いただければ幸いです。(筆者はあくまで植物に焦点を当てて記事の執筆をしておりますので何卒ご了承願います。)
睡蓮
睡蓮 Les Nymphéas |
1906年 |
▶︎ 睡蓮をモチーフに250点以上の作品が描かれた。 ▶︎50歳頃から亡くなるまで描いた睡蓮は、描かれた時期によって作品の印象が少しずつ異なる。 |
学名 | Nymphaea |
原産 | アフリカ、アジアの熱帯地域 |
科名 | スイレン科(スイレン属) |
分類 | 多年生(水生植物)※一部一年生あり |
開花期 | 6月〜11月頃 |
花言葉 | 信頼、優しさ、清純な心 etc |
モネの代名詞として多くの方が思い浮かべる「睡蓮」ですが、シリーズとしてたくさんの作品が残されています。
遠景の構図で、庭にかけられた橋や木々も作品内に描かれたものや、花だけに焦点を当てて描かれたものなど、描かれた時期によってモネが描こうとしていた構図は少しずつ異なります。
43歳の時、彼はパリ郊外のシルヴェニーに移り住み、庭師のアドバイスを受けながら邸宅内に庭を作りをはじめました。徐々に大きくなった庭には睡蓮をはじめ様々な花が植えられ、彼はこの理想の庭園で数々の名作を残しました。
当時住んでいた邸宅と庭はクロード・モネ財団により今でも一般公開されており、特に睡蓮の咲くシーズンには多くの観光客で賑わいます。
睡蓮の魅力はなんといってもその神秘的な佇まいにあります。
水面に浮かぶ丸い葉の間から突き出して咲く花は、水面に反射した光を受けて一層明るく照らされ、整然とした水の質感に華やかさを演出してくれます。
睡蓮は、寒さに弱い熱帯性と寒さに強い温帯性に分けられます。
日本の気候ですと、温室内でなければ熱帯性の冬越しは非常に難しいですが、温帯性は冬越しも可能です。
睡蓮の品種は世界にたくさん存在し、そのほとんどが熱帯性であり温帯性は数えるほどしか種類がありません。
花色は品種によって異なり、赤やピンク、黄、白、青、紫があります。
モネが描いた作品を見ると、赤や白、黄色が多いようです。モネの庭園があるシルヴェニーも冬は気温が一桁まで下がるような地域なので、恐らくモネの描いた睡蓮は温帯性のものかと思われます。
水生植物なので、庭に池がないと育てられないように思われがちですが、睡蓮鉢と水生植物の土を使えば家庭でも簡単に育てることができます。
もちろんモネの庭園のようなダイナミックさはないですが、玄関先やベランダに置いておくだけでちょっとした癒しの空間になります!
同じく水生植物の蓮(ハス)は、よく睡蓮と混同されがちですが、蓮は「ハス科ハス属」で、睡蓮は「スイレン科スイレン属」ということで全く別の分類になります。
【簡単に見分ける3つのポイント】
①花が咲く位置(睡蓮→水面または少し高い位置で咲く。蓮→水面より高い位置で咲く。)
②花弁の形(睡蓮→先端がシャープ。 蓮→丸みがある。)
③葉の形(睡蓮→切れ込みあり。蓮→切れ込みがない。)
ひなげし
アルジャントゥイユのひなげし Coquelicots à Argenteuil |
1873年 |
▶︎ 夏のアルジャントゥイユ(パリ郊外)で制作。 ▶︎登場するのは妻カミーユと息子のジャン。 ▶︎作品中央から上部と下部に分けられる色彩対比が非常に印象的な作品。 |
学名 | Papaver rhoeas |
原産 | ヨーロッパ中南部 |
科名 | ケシ科(ケシ属) |
分類 | 一年草 |
開花期 | 4月〜7月頃 |
花言葉 | 思いやり、心の平静、慰め etc |
1870年代の彼の代表作「アルジャントゥイユのひなげし」には、穏やかな夏の日に日傘を持った女性(妻のカミーユ)と、摘んだ花を持ち歩いている子供(息子のジャン)の姿が描かれています。
淡い空の色と土手に咲いているひなげしの鮮やかな色が対照的で、のどかな時間を光の表現で印象付ける素晴らしい作品です。
赤いひなげしと共に黄色い花も描かれていますが、これもひなげしの一種なのかそれとも菜の花でしょうか。。
もし菜の花だとしたら、ひなげしの開花時期と被る4月下旬か5月あたりに描かれたのかな…と思われます。
いずれにしても、黄色い花を同時に描くことでひなげしの鮮やかな赤が中和され、柔らかい雰囲気を醸し出す良きアクセントになっていますね。
ひなげしは「(英名)シャーレイポピー」や「(仏語)コクリコ」という名前でも流通していますので、ご存知の方も多いかと思います。
美しさも可愛さも兼ね備えた花ではありますが、性質的には非常に丈夫で、こぼれ種子でもどんどん増えます。
薄く繊細な花弁と細い茎が特徴で、種類によって一重咲きと八重咲きがあります。
花色は主に赤、白、ピンク、黄色などがあります。蕾には毛が生えており、はじめは下を向いていますが花が咲くときに頭を持ち上げて上向きなります。
同じような花を空き地などで見かけことがある!という方もいると思いますが、それらの大半は、同じケシ科ケシ属の「ナガミヒナゲシ」という花です。
このナガミヒナゲシは、繁殖力が非常に強く、生態系に影響を与えるとして各自治体でも注意喚起や駆除を推奨しているところが多いです。
また、他の植物の生育を妨げる物質を根から発するということで、一般的には農家の方から敵対視されていることが多く、かわいい花だからといって放置しておくと大変なことになりますのでご注意ください。
「ケシ」というと何だか麻薬との関連をイメージしまいますが、ケシはケシでも、法律で禁止されているもの以外は育てていても問題ありませんのでご安心ください。
ちなみに、法律で禁止されているのは下記の品種(学名)のケシです。ご注意ください。
・パパベル・ソムニフェルム
・パパヴェル・セティゲルム
・パパヴェル・ブラクテアツム
シャクヤク
しゃくやくの花園 Peony Garden |
1887年 |
▶︎ 情報が少ない作品。彼が47歳の頃に描かれた。 ▶︎睡蓮と同じく彼の自宅の庭で描かれた作品。 |
学名 | Paeonia lactiflora |
原産 | アジア北東部 |
科名 | ボタン科(ボタン属) |
分類 | 多年草(宿根草) |
開花期 | 5月〜6月 |
花言葉 | 恥じらい、はにかみ、謙遜 etc |
日本には、美しい女性の立ち振る舞いを表現した「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉がありますが、それほど当時の日本人にとってシャクヤクは美しさを表現する花だったということです。
モネも庭に咲くシャクヤクを描いてその美しさを表現しました。上記画像の「しゃくやくの花園」は庭先で描かれたものですが、その5年ほど前に花瓶に入ったものをモチーフとしても描いています。
平安時代に漢方薬として日本に渡ってきたというシャクヤク、花はふっくらとした華麗な姿が特徴的で、お庭にあると大きく存在感を示します。
春から初夏にかけての開花時期にはとても優雅で贅沢な気分にさせてくれます。
前述の通り、シャクヤクは薬として渡来しましたが、その後園芸用の品種として育てられていきました。これらを「和シャクヤク」と言います。
一方、ヨーロッパのほうで育てられた品種は「洋シャクヤク」と言われています。
和シャクヤクは一重咲きが多くすっきりとした姿が特徴で、洋シャクヤクは香りが強く花弁が多くバラ咲きで豪華な見た目のものが多いです。
開花期間は非常に短く、見頃を逃してしまうとまた来年まで待たなくてはなりません。
花屋さんでも切り花として販売しているところはありますが、期間が限られているということで入手困難な場合が多いです。
睡蓮と蓮のように、芍薬(シャクヤク)もまた同じく、見た目が似ている牡丹(ボタン)と混同されがちです。どちらも「ボタン科ボタン属」ではありますが、花としては全く異なるものとして区別されています。
【簡単に見分ける3つのポイント】
①葉の質と形(シャクヤク→ツヤあり、丸みあり。牡丹→ツヤなし、ギザギザ。)
②つぼみの形(シャクヤク→球状(丸い) 牡丹→先端が尖っている。)
③開花時期(牡丹は4〜5月に咲くので芍薬よりも開花時期が早い。)
最後に
モネが画家として輝かしい功績を残したことは言うまでもありませんが、個人的には、彼は素晴らしい画家だったと同時に、卓越したセンスを持つガーデナーとして「庭」という作品を仕上げたということに感動を覚えました。
庭づくりについては素人同然だった彼が、『理想の庭』を追求し深く学び、そしてその理想を形にしていった人生の後期は、まさに園芸家として第二の人生を歩んだ年月だったといっても過言ではないと思います。
21世紀になった今でも、モネの絵画の中には美しい理想の庭が四季折々の花と共に息づいており、彼が過ごしたシルヴェニーの邸宅には彼の描いた風景が柔らかな光とともに残っています。