ゴッホに描かれた植物たちの素顔 (ひまわり、アイリス、アーモンド)

はじめに

歴史に名を残した絵画の巨匠たち。そして、彼らの心と筆を動かした数々の植物。

特集記事「巨匠に描かれた植物たち」では、絵画に描かれた花や木を通して巨匠の心を掴んだそれらの魅力をご紹介いたします。

今回は、筆者が敬愛する歴史的画家の一人、オランダのポスト印象派「フィンセント・ファン・ゴッホ」によって描かれた3つの花について絵画の解説とともにご紹介していきたいと思います。



孤高の画家 ゴッホ

モチーフとなった植物に触れる前に、まずはゴッホという人物について簡単にご紹介していきたいと思います。

画家になるまで(1853〜1880年)

たびたび「孤高の画家」として表現されるフィンセント・ファン・ゴッホは、1853年にフロート・ズンデルト(オランダ南部)で、プロテスタントの牧師であった父テオドルスと母アンナのもとに生まれました。

幼少期から癇癪持ちで難しい性格だった彼は、度々周囲の人間と衝突することが多く、非常に扱いにくい子供とされていました。

ゴッホが生まれた村は自然豊かな場所だったこともあり、彼は多くの時間を独りで野原を散策したりしながら過ごすことになります。そして、そんな彼に絵を描くことをすすめたのは母のアンナでした。

ゴッホはその気難しい性格も相まって、画家になる前の20代前半頃は仕事先からの解雇や神学校での挫折を経験をすることになります。

そして月日は流れ、色々な経験を経て彼が画家を目指そうと思い立ち、弟テオへの手紙の中でその想いを綴ったのは1880年、彼が27歳の頃でした。


画家としての人生(1880〜1890年)

ゴッホが画家として活動した期間は、画家を志したとされる1880年から亡くなる1890年までの10年間です。

それまで独学で絵を描いていた彼はベルギーのブリュッセルに渡り、短期間でしたが美術学校でデッサンを学びます。

そして、翌年(1881年)オランダに帰郷してからしばらくの間は農民の暮らしをモチーフにした作品を描きました。

彼が油絵を描き始めたのは、ジャン=フランソワ・ミレーに触発されたのが理由とされています。


そして、1885年には彼の初期代表作とされる「ジャガイモを食べる人々」が描かれました。

「ジャガイモを食べる人々」を描いた翌年の1886年、ゴッホは弟テオが住むパリに拠点を移します。

パリに移ってから最初の2年ほどは、他の才能ある画家たちと親交を深めながら比較的順調に芸術活動行っていました。

後に同じく巨匠と評されることになるポール・ゴーギャンと出会ったのもちょうどこの頃です。


その後、ゴッホとゴーギャンは南フランスのアルルで共同生活を始めることになります。

アルルへ移った後、創作活動に没頭していった彼は代表作となる絵を数多く描きました。

この頃の生活がそれだけ充実していたということを表しています。

そして1888年の秋からゴーギャンと同じ屋根の下で共同生活を始めることになります。

しばらくはお互いを刺激し合いながら充実した日々を送っていた二人ですが、個性の強さと作品に対する考え方、価値観の違いから次第に溝が生まれていきます。

そして、ゴーギャンが引っ越してきてから約二ヶ月後、彼らの共同生活は早くも破綻を迎え、ゴーギャンと口論になったある日の夜、かの有名な耳切事件が起きます。


結局、翌年(1889年)にはアルルを去り、サン・レミの療養院に入院することになったゴッホでしたが、入院後も精力的に創作活動を続け、代表作の「星月夜」や「糸杉と星の見える道」などを含め100点以上の絵を描いています。

サン・レミの療養院で一年ほど暮らした彼は、新たな療養地として1890年にパリ近郊のオーヴェルという村に移ります。代表作「オーヴェルの協会」などはこのオーヴェル時代の作品です。


オーヴェルに移り制作に打ち込んでいたゴッホでしたが、同年の7月27日に近くの小麦畑で拳銃自殺を図ったとされ、その2日後の7月29日に弟のテオに看取られ37歳でこの世を去りました。

繊細な心の中に情熱の炎を燃やしたゴッホの作品は、死没後に再評価されることになり、現代でもその生き様と作品は多くの人たちを魅了し続けています。



モチーフになった植物たち

ゴッホの画家としての活動期間は約10年と非常に短いものの、描かれた作品はデッサンや水彩なども含めて2000点にも登ると言われています。

今回の記事では、その膨大な数の作品の中から3つの作品をピックアップして、そこに描かれた植物についてご紹介したいと思います。

尚、本記事は美術評論を目的としたものではないことを予めご理解いただいた上で、ここから先をご覧いただければ幸いです。(筆者はあくまで植物に焦点を当てて記事の執筆をしておりますので何卒ご了承願います。)


ひまわり

ゴッホといえばもうお馴染みの作品ですね。

ひまわり
Zonnebloemen
1888〜1889年
▶︎ ゴッホは晩年に7点の「ひまわり」を描いている(現存するのは6点のみ)。
▶︎ 上記画像の絵は1888年に描かれたもの。
▶︎ ゴーギャンと共同生活をする際に、

部屋を明るくしようと描いた。
学名Helianthus annuus
原産主に北アメリカ
科名キク科(ヒマワリ属)
分類一年草、多年草 ※品種による
開花期7月〜10月 ※品種による
花言葉憧れ、情熱 etc

「ひまわり」といえば、誰もが知っている夏を代表する花です。

一般的には「背が高い大輪の一重咲き」をイメージする方が多いかと思いますが、ゴッホの描いたひまわりをよく観察すると、花びらが残っている八重咲きと花びらが取れて管状花()だけになっている一重咲きが同じ花瓶に生けてあるように見えます。

※管状花
筒状になって中心に集まっている花弁のこと。ひまわりの場合、中心の黒い部分を指します。(品種によっては黒ではない場合があります)


実は、一口に”ひまわり”といっても、30センチに満たない小さなものから2メートルを超える大きいものまで、そして一重咲きと八重咲きなど、野生種も含めると100種類ほどの品種があるとされています。

つまり我々がよく見慣れているひまわりは、数ある品種の中の一つに過ぎません。

夏を過ぎると枯れてしまうイメージのあるひまわりですが、冬に一旦地上部が枯れて翌年にまた茎を伸ばして開花する多年草の品種もあります。

ヒマワリの品種名には「テディベア」や「ジョーカー」、「ピノキオ」や「バニラアイス」など非常にユニークなものも多く、中には画家の名前を用いて「ゴッホのひまわり」「ゴーギャンのひまわり」「モネのひまわり」といったネーミングがされているものもあります。


ゴッホがひまわりを描いたのはアルルに移り住みゴーギャンと共同生活をする頃。

ゴーギャンとの共同生活をする前に部屋を黄色で明るく飾りたかったからと言われています。

色合いはもちろん、ひまわりの形は命の源である太陽を連想させ、明るく元気な気分にさせてくれます。

ひまわりの花言葉は「憧れ」「情熱」。

結果的にはうまくいかなかったゴーギャンとの共同生活でしたが、きっと当時のゴッホはこれから始まる新たな暮らしに胸を膨らませ、明るい希望を見出していたのではないかと思います。

ゴッホと喧嘩別れしたゴーギャンですが、実は彼もひまわりをモチーフにした作品を4点残しています。

 

亡くなる二年前に描かれた作品ですが、当時タヒチに住んでいたゴーギャンはわざわざフランスから種子を取り寄せたと言われています。

 

ゴッホの代表作と言われた「ひまわり」、一体ゴーギャンはどんな気持ちで同じモチーフを描いていたのでしょうか。


アイリス

ひまわりと同様に、同じ花をモチーフにした複数の作品の一つに「アイリス」があります。

画面いっぱいに描かれた「アイリス」や、風景画の一部として描かれた「アイリスの咲くアルルの風景」などが有名ですが、個人的には背景が黄色の「アイリスのある静物」(下記画像)が好きです。

アイリスのある静物
Nature morte iris
dans un vase, sur fond jaune
1890年
▶︎ 亡くなる数ヶ月前に描かれた作品。
▶︎ 描かれているのはダッチ・アイリス
学名Iris × hollandica
原産地中海沿岸、オランダ
科名アヤメ科(アヤメ属)
分類多年草(球根)
開花期4月〜5月
花言葉希望、吉報 etc

アイリスはアヤメ科アヤメ属の総称で、世界全体では100種類以上もの種類が存在しています。

日本でもノハナショウブやカキツバタ、ヒオウギアヤメ、ヒメシャガなどを含む約10種類ほどが自生しています。

ゴッホが描いたアイリスは「ダッチ・アイリス(オランダアヤメ)」と呼ばれる園芸種で、ボリュームのある華やかなジャーマン・アイリスよりも少し小ぶりですが非常にポピュラーな花です。

ダッチ・アイリスにはアポロ、イエロークイーン、ブルーダイヤモンドなどいくつかの種類があり、花色も青や青紫、白や黄色と様々です。

アイリスの一番の魅力だと思うポイントは、和風や洋風の庭にもマッチするという点です。

同じアヤメ科の中でも、特にカキツバタ(燕子花)は古くから日本画のモチーフとしてもよく絵の中に登場します。

尾形光琳の代表的な作品で国宝でもある「燕子花図屏風」をご覧いただければ、日本画のモチーフとしても愛された花であることがよく理解できます。

燕子花図屏風

ゴッホの描いた「アイリスのある静物」の背景は黄色、尾形光琳の燕子花図屏風は金箔を貼った屏風絵ですので、モチーフ以外の部分に共通した印象があります。

ご存知の方も多いかと思いますが、ゴッホは当時、日本の絵画(特に浮世絵)から非常に多くの影響を受けています。自分自身でも浮世絵をコレクションするようになり、パリのカフェで浮世絵展を開くほどの心酔ぶりでした。

ゴッホが実際に尾形光琳の影響を受けたかどうかは定かではありませんが、光琳が燕子花図屏風を制作してから約200年後にゴッホの作品とクロスオーバーするのは非常に興味深い現象だと感じます。

作品の中ではアイリスがボリュームたっぷり描かれている一方で、右下の部分に注目すると何本かの花が萎れて倒れているのがわかります。

 

未来に希望を見出しているゴッホの前向きな心と、恐怖を感じながら萎縮している心が交差している様を表現しているようで切ないですね。。


アーモンド

花咲くアーモンドの木の枝
(Almond Blossom)
1890年
▶︎ 弟テオに息子が生まれた際に贈られた。
▶︎ 画中の花が白いのは褪色によるもの。
学名Prunus dulcis
原産西アジア
科名バラ科(サクラ属)
分類落葉高木
開花期3月〜4月
花言葉希望、真実の愛 etc

画像をご覧いただくわかるように、アーモンドの花は日本の桜に非常に似ていますよね。

一見すると桜と区別がつかないくらい似通った容姿をしています。

それもそのはず、アーモンドは桜と同じく「バラ科 サクラ属」で、他にモモやアンズなども同属です。

現在日本国内で流通しているアーモンドはほとんどがアメリカ産のものですが、日本でも地域によって育てることは十分可能です。栽培するには温暖且つ乾燥した気候が適していますので、日本ですと瀬戸内海周辺が一番適しています。

この作品は、弟のテオに息子が生まれた際にゴッホが描いて送った作品です。

画中の花は少し小さめで、つぼみの状態のものも含まれているので、恐らく咲き始めの頃に描いたのではないかと思います。

きっとこの世に生まれ出た甥っ子に対する期待や希望を込めて、咲き始めた頃の花をモチーフにしたのではないかと思います。

その外見から、前項で紹介したアイリスと同じくアーモンドの木も日本の風景に非常にマッチする植物であり、ゴッホの作品を見ても何だか日本の春が香ってきそうな、そんな雰囲気が漂っています。



最後に

この記事を執筆していて気付いたことがあります。

それは、今回取り上げたゴッホの作品が全て晩年に描かれたものであるということ、そして、それぞれに描かれた花がもつ花言葉が、彼の悲しい人生の幕引きとは相反して希望に満ちた意味を持っているということです。

彼は、挫折と苦悩に満ちた人生の中で、もがきながらも高みに手を伸ばし、時にはひまわりのように光の方向に向かい大きく咲くことを最後まで夢見ていたのかもしれません。

もしいつか、ひまわりやアイリス、アーモンドの木のある景色に出会った時は、是非ゴッホがみた景色に想いを馳せながらじっくり観察してみてください。

きっとそこにはこれまでと違った景色が広がっているかもしれません。


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